偏差値(のことなど)
・慶應義塾大学SFC。
慶應義塾大学SFCが出来てからの数年間、学科によっては、「当時の」早稲田大学・政経より、合格基準偏差値が上。
つまり、私大文系で、偏差値が最高。(設立当時、初期数年)
おそらく、代ゼミの偏差値でそうだったような記憶があります。
ただ、代ゼミ以外の偏差値でも、早稲田大学・政経とトップタイのことが多かったような記憶もあります。
*偏差値を単純計算(扱い)すると、設立数年のあそこからSFCの偏差値は「7」とか「9」とか落ちた?
当時:偏差値69、70。近年:偏差値60ちょっと。
*やはりこういう学際的学部は、「で?、何が出来るようになったの? 何を身につけたの?(「何」を学んだの?)のリスクが・・・。
*時間が経つとそのリスクが(徐々に)「バレる」。
(近年の卒業生の就職先も、旅行代理店とか、サイバーエージェント、とか)
慶應義塾大学SFCは、新設されて数年間は、だいぶ注目されていました。また近年と比べると、受験倍率も高かった印象があります。
それでかなり偏差値が高かった。
ただ年数が経つと、要は、早稲田大学・人間科学部のような位置になる。
(偏差値にもそれが表れてる。「ニッチな」専攻の人だけが受ける。)
・上智大学、かつてとくに「国関(こっかん・こくかん)」の「高」偏差値。そこからの近年の「独自化」。(すっとび化)
*早見優とか西田ひかるというキーワード、とかも。
1990年ごろは、上智大学「国関」がかなりの偏差値のことがあったといいます。
早稲田大学>上智大学>>明治大学etc。
*「早稲田おちると、明治かー・・・」、そこの「需要」もあったのでは、と思います。
*早稲田と明治大の間として、発見された、という側面。
難易度・偏差値、受験生の流れとしては、もろにこういう位置づけだった。(とわたし自身がはっきり知ったのは、後になってからですが。)
*この数年は、上智大は入試で要求するものがだいぶ独特。もう「昔からのソフィア・ファンの家の子弟だけでいいや」に舵を切った?
(第二志望、第三志望として設定は、無し、ですね。要求が独特すぎるので。)
・東工大、早稲田大学(理工)*当時の「逆転現象」。
1990年ころ、および、そのちょっとあとあたりの時期だと、偏差値でいうと、早稲田(理工)>>東工大。
そのころの駿台全国模試(記述式)の判定は
1人で志望先として両方書くと、
早稲田大学(理工)D判定
東工大B判定
となっていた。
*高3のときの前の席のN田くんが実際そうだった。
*他にも、こういう話はそれなりの期間、聞きました。
かなりの上位高校から、理系の場合、そのころからすでに、東大(理1or理2)+早稲田大学(理工)、この受け方をする人がかなり多く出ていた。
それで、東大(理1or理2)不合格、早稲田(理工)合格で、早稲田(理工)に進学、こういう人の偏差値が高いため、判定基準偏差値に関して、早稲田(理工)>>東工大、となった面もあったと思われます。
・東大・文1、東大・法学部の「凋落」。
(まずは)偏差値というより「進振り」で。
「底割れ」も発生。
*底割れ:東大は入学時には、「学部・学科」は決まっていません。教養の2年間(「駒場」)で各学生が取った単位の平均点によって、専門課程(「本郷」)での学部・学科が決まる。(科類ごとの「割り振り枠」等もある。)
この、駒場→本郷の、「学部・学科」決定プロセス=「進振り」において、各学部・学科に、進学OK(あなた受け入れますよ)とする「駒場時代の最低点(「その人の教養課程での評定の平均点」の「最低基準」)」がある。これを底点、と東大では呼んでいる。
底割れとは、その、進学OKとする「駒場時代の基準最低点」が「無い」状態、のこと。
つまり、希望したら、駒場時代(教養課程)で、取った単位の評定が「オールC (オール「可」)」でも、その学部に進学できる、こうなっている状態のことを「底割れ」という。
つまりは、東大・法学部が「Fラン」学部、そういう年が出た、ということ。
*早慶付属高でいったら、(早慶)付属高を評定3前後か評定3未満で「卒業」はしました、その人が内進できる大学の学部、その位置に東大・法学部がなった年が出た、ということ。
さらに、東大(法学部)→国家公務員(キャリア官僚)のルートがかつてほどメジャーではなくなった。そのルートの評価がダウントレンド。またそれを、目指す人が漸減していっている。
国家公務員方向になっているのは、早稲田大学・法学部卒の新卒*ただし、国家一般職へ、が多い。*旧・国家2種、国2。
ただ、東大独特の「進振り」だけではなく、大学受験の時点で東大を志望していて、文系で、出来る人は、文2受験(=進振りでは「経済学部」がかなり多い)にだいぶいっています。
したがって、複数の側面において、東大・文1は凋落方向、ということになります。
もはや東大・文1が日本の(受験等の)文系での絶対王者では、ない。
注目度・志望度合いなどもジリジリ下がっていっている。
おそらく、(旧)司法試験→現・司法試験=ロースクールが事実上必須、これも東大(法)ダウントレンド、と関係しているだろうと思います。
かつては、東大(法)でちゃんと優秀だと、「在学中に」いくらかは司法試験予備校(T巳系、I藤塾、etc)にもいき、「在学中に」(旧)司法試験合格、が出来ていた。22歳までに、(旧)司法試験合格。
*実際わたしの知り合いの佐々木氏は(東大・法の学生。学年は1つ上)は、そうです。大学4年で当時の(旧)司法試験に合格。
でも、現・司法試験においては、「期間を引き延ばされてしまう」。(ロースクールが事実上必須だから。)
ともあれ、東大・文1、東大・法学部、「底割れ」も発生。つまりは、東大・法学部がFラン学部、そういう年が出た。
・東北大のV字回復。北海道大学の復活傾向。(あるときに、「敬遠」された、地方・旧帝大の復活トレンド)
団塊Jr.世代(=わたし)においては、「大都市圏にある、新しい感じの専攻の、私大文系が人気(慶應SFC、上智大・国関)」、それにともなう偏差値の上昇、その一方での、「地方+国立大+理系は、敬遠されている感」。それがなんとなくありました(受験科目の多さと重さが敬遠されていた?)。(チャラい時代だった?)「地方+国立大+理系は、敬遠」はとくに、当時の偏差値60~66くらいの高校で、そうだったようです。
また当時、たとえば、北海道大学の工学部の「偏差値」は、MARCHに抜かれたりもし、さらに、同じく偏差値について、日東駒専にせまられていました。
(わたしの父が、北海道大学(工)卒なので、当時、「嘆いていました」。はっきり覚えています。)
東北大学(工)も、わたしの高校の同級生で、高3のとき同じクラスで、わたしより出来ない人が複数、東北大学(工)には現役で受かっていました。(「この人で受かるの??」は正直けっこう思ったことはあります。)
おそらく、当時(1990年ごろ)、東北大学(工)の受験層は、薄かった、のだと思います。(地方+理系+国立大=試験科目が多く・重い。で全体からは敬遠されていた(?))
しかし、東北大学・理系はV字回復しました。工学系統の「研究の東北大」が再度かなり認知され、卓越大にもなりました。
北海道大学も、その頃とは違い、道外からの入学者が50%を越える年度も出てきました。つまり全国区大学として復活。
(いにしえも、漫画「動物のお医者さん」の舞台のモデルが、北海道大学・獣医、だったりもしてはいますし。)
東北大のV字回復。北海道大学の復活傾向。地方・旧帝大の復活トレンド。
「地方旧帝大・理系志望は、コスパが悪い」(志望方向としてはキツすぎる)みたいなことをいう指導者は、地方の中核都市の実情・価値とか、JTCの実情を全然知らない、都会には住んでいるだけの、世間知らず君。かなと。

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