記憶に残る生徒さん(1)通っているのは「スポーツ高」。(早稲田大学には受かりたいけど・・・)最終合格先は?
A君
親御さんのある方針もあって、高校受験で受けたのは3校だけ。そして第3志望の私立高に進学しました。
A君の学校は
校則が多い。(細かい、項目も多い)(校則がうるさい。)
体育の授業はまず格好のチェックから始まる。
登校時や朝以外も先生がなにか注意している、「命令している」ことが多い。
(決まり・チェック・注意。)
*なのに、近所の個人の酒屋には「@@高の生徒、おことわり」という張り紙がしてある。(ソフトドリンクもいろいろ売っているのに)
特進的なクラス(Aくんはそちらにいた)に対しては、
「やる気出せ」
「なんでこんな偏差値なんだ」
「このクラスにいる自覚を持て」
なお、Aくんの高校は「ある運動部」が強い高校です。
その運動部のレギュラーの何人かは、その部の監督が中学へいって「スカウト」もしている。
部活動での事実上の推薦、スポーツ枠がある高校。(私立高校)
たしかにその運動部に関して、その高校の名前は20年くらい前からわりと良く聞きます。
つまりは、スポーツ学校だった私立高が、「特進的なクラス」も設置してむりやり進学校化しようとしている。
Aくんは、「うちの学校は、こいつらはチェックしないとろくなことをしないみたいに生徒を信用してないし、体育教師みたいな人ばっかりだ」
といやがっていました。
*その私立高は、たしかに「(わりと)ヤンキー高」。
*めだたない子の多くは、部活してるわけでも、勉強しているわけでもないという感じだとのことでした。
その高校全体での進学実績も、早稲田は重複でも8名とか。早稲田合格者は実数だと3人?
地方旧帝大かそれ以上の合格者は全くいない。(気をはいているのは「その部活」だけ)
(そんな私立高でした。)
Aくんの高校は進研模試の実施回数も多めでした。
また高校の授業については「(特進的なクラスとはいっても)ちょっと変な人が次々問題出しているだけみたいな感じで、わかってきたみたいな楽しさはないです」
というようなことをおっしゃってました。
(Aくんは「先生たちは顔やしぐさが変な人が多い」「生徒を使ってストレス発散してるみたいにみえる先生がわりといる」、みたいなこともおっしゃってました。)
定期テストもたしか「ひたすら小問集合」みたいなタイプだったと思います。
(英語や地歴で「高校のテストの問題とは思えない、点をとらせるための問題」も出ていた記憶があります。)
こんな高校にそのまま乗っかっていく気にはまったくならないということで、わたしたちをお探しになり、ご指導開始となりました。
指導開始後には、進研模試に関しては数学で何回か満点となりました。(数学の偏差値は、80オーバー)
ただAくんも私も「進研模試だしねえ・・・」といった感じでした。あと「先生(=私)のプリントと違って、進研模試のは問題が面白くない。進研模試の問題は、あーそうかみたいのがないです」といったこともAくんはおっしゃってました。
英語、数学をわたしがご担当し、日本史はアドバイスをしていました。
高2あたりまでは、早稲田の興味のある・納得できる学部に行きたいといったご志望でした。
高3になってから、できたら阪大か(東北大か)一橋か東大にいって、心理学とか社会学みたいなことをやりたいということになってきました。
(Aくんの中でも手ごたえが出てきて、一橋や東大も意識し始めたのだと思います。)
そこで英語、数学に関してはどちらかというと一橋を意識したものにし、(問題自体は一橋が一番インパクトがあったり、非定型問題の比率が高く、きついので。)また地歴の2科目目についてもアドバイスをいたしました。
つまり、英語・数学をがっちり仕上げて(わたしが担当)、地歴は効率よく、という方針にしました。
こうして、
数学、英語はわたし。
日本史は自学。(アドバイスはしていました。)
(秋や冬は、日本史についても、東大の過去問添削もわたしがまとめて実施しました。「日本史の添削回」を設定しました。)
地歴2科目目は予備校。
この形でやっていきました。
英語についてはこのころになると、東大形式・東大対策も重視しました。
要約問題、リスニング、和訳、自由英作文、「総合」。
ただし、一橋のことも意識して、和訳問題、自由英作文、「総合」の問題レベルは、東大本番より上のもの。
そういった教材も使用しました。
英語・週4時間(以上)、数学・週2時間(以上)。たまに英数どちらかの回を、「日本史の添削回」に振り替える(時間が余りそうなら古文演習も)。
このようになっていきました。
東大型模試の結果はたしか、
夏
東大実戦C判定、東大オープンB判定(なんとかB判定だった記憶があります)、本レ模試(東進)B判定
それ以降は、
東大実戦、東大オープンB判定、本レ模試(東進)A判定。
夏よりあとのB判定は、わりと順位が上のB判定だった記憶があります。
最終的に受験については、東大が不合格、後期の一橋も不合格で、早稲田がすべり止め学部しか受からなかった場合は考える。
このパターンの受験結果だった場合は、浪人も考える。
(わたしに対して、「前の年度の時点で、次の年度の家庭教師の予約とかできますか」といったこともお聞きになっていた。)
前期日程は、東大(文3)を受験され、合格されました。
(たしかその高校からのその年の東大合格者はAくん1人だけだったと思います。)
地方旧帝大はいなかったような記憶があります。
ある高校(ヤンキースポーツ高がむりやり進学校化しようとしている高校)、その高校からの唯一の東大合格者はわたしの生徒さん。
有名なのはある部活だけ。
早稲田に重複でも8名しか受からない「特進」。(旧帝大以上はゼロ)
英数をがっちり固めること、また日本史の添削、これら3つを私が担当。
その学校からの唯一の東大合格者。