ちゃんと東大に受かったのが(ほぼ)確定的な人がネットなどで勉強法について語っていることも、少数ですがあります。
東大合格者である、東大に合格する、それにははかなりの意味があります。
ただ「ぼくは数学、英語でこうしてました!(それで東大に受かりました)」は、「ぼく」のサンプルだけ、サンプル数=1にすぎないわけです。
勉強法の信頼度としてはどうなんでしょう?
また、特定の1人が東大を受けるのは近年なら多くても2回。(「多浪」すれば3回以上ありますが(苦笑))
したがってネットで見ることもある「ぼくは数学、英語でこれをやって、東大に受かりました」は、合計で多くても1人の人の「2回分」しかサンプルがない。こうなわけです。
勉強法のデータとしてどうなのでしょう?
「@@@くんは~して東大に受かった」でいいなら(それが誰にでも当てはまるほどの信頼度がもしあるといえるなら)、「東大の理3に受かるのに塾、予備校は要らない」。
これも勉強法として「そのとおりだ」になります。
なぜかというと、数年に1人、「自分は塾とか予備校ほとんど行ってません」といって東大・理3に受かっている人は実際にいるからです。
「だから」東大の理3に受かるのに塾、予備校は要らない、になるでしょうか?
(ならないですよね。)
これも、サンプル数=1(サンプル数が極少)
だから勉強法に関する判断としておかしい。
こういうわけですね。
またもう少し各論的な(具体的な)ことを言えば、「ぼくは数学は@@@をやって、東大の数学で○○点とってうかりました」というブログなどを読んだとして、それがあなたの役に立つ保証はありません。
もちろん、サンプル数=1にすぎない、それも前述のように理由・カラクリとしてあります。
それ以外の面もあります。
その「ぼく」が、センスの良い解き方を出来るタイプで、あなたは計算力型(とくかく立式してゴリゴリ解くタイプ)だったら?
合格者が「@@@をやって~」と言って挙げている、その問題集、あなたの役に立ちますか?
(回り道の回避につながりますか?)
こういう問題点もあります。
さらに、ブログで書いている「ぼく」と読んでいるあなたは、得意・不得意のバランスが全然違う、これも大いにありえます。
根本的に、「ぼくは~してました」は、サンプル数=1にすぎない。
なにかを言うには、データ量がまったく足りてないわけですね。(「~をする」⇒東大にうかる、という因果関係を言うにはサンプルがまったく足りていない。)
(それを分からずに「○○に受かったぼくは~~をしてました!」みたいに「語っている」人がいたら、その人は頭は良くないです。統計学的センス・因果関係についての理解がゼロ、なので。)
★「ぼくは@@をやって東大に受かりました」は、サンプル数=1
★サンプル数=1(極少)が、定説になるなら、「東大の理3に受かるのに塾、予備校は要らない」も定説になってしまいますが。(数年に「1人」いる、塾なし東大・理3の存在)
★「ぼくは数学は@@@をやって、東大の数学で○○点とってうかりました」、タイプがあなたと違ったら?(役に立ちますか?)
*当ブログの筆者の略歴;
一橋大学・卒。(+東大・理2、再受験で合格。親に止められ入りなおし進学は出来ず。)
プロ家庭教師。
講師歴;サピックス、駿台予備校、医学部専門予備校、など。
合格実績;東大、京大、阪大(医学部・医学科)、名古屋大学(医・医)、東北大学(医・医)、九州大学(医学部・医学科)など。