新センター試験、大学入学共通テストの国語の「科目」についてアナウンスがまた出始めました。
それに関連して「新センター試験は、「文学国語」、「論理国語」となり、名作の比重が下がる。これは日本人の教養が低下していくことにもつながりかねない。」
そういうことを言っている人達もいます。
わたしはどこぞの小さい家庭教師センターの人間にすぎません。しかし、こういった意見は悪い意味での人文系だなあ、と思います。
人文系の人達というのは、蔵書が多いことがいいことだ。みたいな感覚の人が多いですね。
あと、「自分の書いた本は内容がいいのに、教養のない人間が多いから売れない」、「財務省が知的でないから、予算を削ってくる」。
人文系・教養主義の人はこういう感じのことをいうことも多い。
(それって、要は「たかり」じゃないですか。自分で自分たちのことを勝手に「良い」と自己認定し「なぜ金を出さない」。それ、たかり、ですよね。)
「新センター試験は、「文学国語」、「論理国語」となり、名作の比重が下がる。」
こんな感じの意見は、そもそもからして大学受験に対しての事実誤認からはじまってますし。
「名作」重視なんて一時期の東北大と阪大くらいのものです。
大学受験、国立大学の2次試験の国語で出される文章というのは、学者の書いた随筆。または専門書だけど、大学2年までの人やサラリーマンなどでも読めるもの。
こういったのが一番多いですから。
「名作」なんていままでも、大学受験ではほとんど出題されてません。
あと、「名作」が書かれたのなんて明治とか昭和初期が多いです。
その頃と、社会とか常識とか職業意識、ありえる悩み。
これらがどれだけ違っているか。
つまり、「名作」に描かれているのは現在はありえない状況。
そういうものを読んでも、現在の状況に関して役にはたちません。
例えば、(A)すごい貧困、(B)次男だから10代半ば以降は家を出るしかない、(C)恋愛における身分の違い、(D)仕事か女か(=「舞姫」)。「名作」とやらにはこういったモチーフがよく出てきますが、「現在」それで悩むケースなんてどれだけありますか?
「名作」を読んでも、それは答えになりません。
こういう感じのことが分かっていないのが、人文系・教養主義の人達ですね。
(「新センター試験は、「文学国語」、「論理国語」となり、名作の比重が下がる。これは日本人の教養が低下していくことにもつながりかねない。」⇒多重にダウト)
*当ブログの筆者の略歴;一橋大学・卒。プロ家庭教師。講師歴;サピックス、駿台予備校、医学部専門予備校、など。合格実績;東大、京大、大阪大学(医・医)、名古屋大学(医・医)、東北大学(医・医)、九州大学(医・医)、など