(1)「多読」
一部の塾がこの方針でやっています。
11歳~14歳の間なら、「あり」といえるかもしれません。
しかし14歳以降も「多読」でいくのは効率は(かなり)悪いです。
*多読で使われる文章は「読み物」であることが多い。
*大学入試や、大学入学以降に必要になるのは、「読み物」を読めるかどうか「ではありません」。
(2)「小説や演劇のスクリプトなどを使った講義」
高校や大学で、このスタイルで講義をする人がいます。
なぜか白人ネイティブのことが多い。
大人になって必要となるのは、小説を読めるという力「ではありません」。
使われる単語が違いすぎです
また、小説や演劇のスクリプトの英文にはかなり人文系の表現、古い表現が多いのです。
ですから、そういう講義で「学んで」使うと、「この人、ジイサンかな?」と思われます。
効率が相当に悪い。
仕事で使える英語は身につきません。
また、小説や演劇のスクリプトなどを使って講義をするネイティブは
・「良い表現」「力のある書き手」についてごく少数の限られたものしか認めない。
*頭の中に「別解」を用意してない。
・価値観(社会、男女、「能力」、仕事に関する基準など)が古い。
・価値観が古すぎて、差別主義レベルまでいっている。
(女は外見と家事が大事、劣等な民族というのはある、など)
小説や演劇のスクリプトなどを使って講義をするネイティブに教わると
・古い表現が多い。
・講師の価値観が古すぎて、差別主義くらいまでいっている。
・「学んで」「使うと」、「この人、ジイサンかな?」と思われる。
意味あるでしょうか?
*当ブログの筆者の略歴;
一橋大学・卒。(+東大・理2、再受験で合格。*再入学は親にとめられた。)
プロ家庭教師。
(ネット指導用の英語の教材をいろいろ作りました。月4回で月額7000円(5000円)あたりの予定で考えています。)
講師歴;サピックス、駿台予備校、医学部専門予備校、など。